2017-05

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荒川洋一94 磯谷直行型

荒川洋一94 磯谷直行型

 4月に入ったのに今日も気温は上がらない。厚手のコートを着ている人を見かける。友人から鹿島セントラルホテルの桜が咲き始めたとメールが届いた。澄んだ青空のもと、1分咲ぐらいだろうか、疎らに咲いている姿がいじらしい。

荒川洋一94-3

 荒川さんの略年譜の中に「こけし(タコ坊主)の創始者、岩本善吉、そして岩本芳藏に惹かれ四十有余年」とある。昭和45年に岩本芳藏に師事し芳藏型に専念し、昭和47年に善吉型の復元を許されてからは、数々の善吉の古作と向き合い成功をおさめている。また喜多方の小椋千代五郎、甚九郎や後継者の無い須賀川の松木朝臣などのこけしの復元も果たしている。

荒川洋一94-1

 今日、紹介するこけしは荒川洋一さんの磯谷直行型で大きさは8寸2分、背中には「愛玩鼓楽 発刊記念 三百の内 二六三」と記されている。荒川さんの略年譜では、昭和60年の項に「愛玩鼓楽 発刊記念に際し磯谷直行遠刈田風復元」とあり、鈴木鼓堂氏の所蔵品を原に復元している。

荒川洋一94

 昨年、荒川さんのご自宅にお伺した時に、私が所有している「岩本芳藏」の磯谷直行型の写真を持参し、芳藏さんの直行型に付いて知っていることをお聞きしたが、見たことも作っていたことも記憶にないとのことであった。磯谷直行型のこけしに関しては師芳藏と洋一さんの接点はなかったということが結論になる。

荒川洋一94-2

 以前、こけしの話296(2016年8月7日)で紹介した芳藏さんの直行型と荒川さんの直行型を2つ並べてみると、原の違いによるものであると想像するが、頭の大きさや手絡の向き、胴模様の描き方など大きく異なっていることがわかる。

 荒川さんは復元した当時、40代であり筆に勢いがある。写真などで観る直行型は角ばった大きな頭で厳つく感じていたが、手に取ってじっくり眺めてゆくうちに、キリッとした目や引き締まった口、品の良い健康的で溌剌としたこけしであるという印象に変わってきた。

こけしの話327

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今 晃17 春を想う時

今 晃17 桜色
 
 全国で桜が開花したというニュースが流れている。桜の花は厳しい寒さに一度は晒されると開花が早くなることを最近になって知った。私が住む鹿島灘沿いの温暖な土地は穏やかで寒さはゆるい。通勤ルートのソメイヨシノの蕾はまだ固く閉じたままになっているのも納得ができる。明日はかなり暖かくなるらしい。桜の開花が期待できるような気がする。

今晃17-1

 今さんの作品の中に、淡いピンクに塗った胴に桜の花びらを散らしたものがある。我が家にも1本あったような気がして、箱から取り出して包みを解いてみると、胴は淡い桜色の染料で塗られていたが花びらは描かれてなく、私の記憶違いであった。

今晃17

 今日、紹介するこけしは今晃さんの作で大きさは4寸、制作時期は平成5年である。胴はくびれ末広がりで、盛秀太郎さんのこけしのような形をしている。胴の模様は肩と帯、裾に赤、緑、紫の3色で細い線が引かれ、その中に淡い桜色の染料が塗られて、幼児のようにあどけなく愛らしい顔が描かれている。この小さなこけしを手に取って眺めてみると、心なしか掌に春の暖かさが伝わって来た。

こけしの話326

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佐久間常雄2 アサヒ写真館

佐久間常雄2 アサヒ写真館

 私の家にある土湯系のこけしは昭和53年から57年ごろに入手したものが多く残っている。白石の友人宅に1泊し、弥治郎や遠刈田でこけしを買い、その翌日に福島インターチェンジで高速をおり土湯に寄ることが多かった。また、土湯は我が家から一番近いこけしの産地だったので、早朝に家を出て二本松のインターチェンジで降り岳温泉を経由して日帰りで往復することもあった。

佐久間常雄2-1

 昭和54年7月に土湯のアサヒ写真館で佐久間常雄さんの米吉型を購入したのが最初の出会いである。その後は髷を結ったこけしや笠を被ったこけし、同手で大きさの異なる佐常のこけしを土湯温泉に寄るたびにアサヒ写真館で手に入れることが楽しみの一つになっていた。

 今日、紹介するこけしは佐久間常雄さんの米吉型で大きさは8寸、細い胴に赤と緑のロクロ模様を描いている。返しロクロ、木地に染料が滲んでいる。瓜実顔で二筆の目には眼点が入らず、微かにほほえんでいるような口、時間が止まった古風な顔立ちをしているように映っている。

佐久間常雄2

 佐常さんは当時もそうだったが、今もヤフオクなどでは人気のある工人とは言えない。木地から離れていた時期が長く、老いてから本格的にこけしを再開したからかも知れない。叔父であり継父佐久間米吉のこけしに向き合い、愚直に作り続けた佐久間常雄さんは、私の好きな工人の一人であると今でも思っている。

こけしの話325

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佐久間常雄1 古拙の味

佐久間常雄1 古拙の味

 朝の散歩道を冷たい風に吹かれ、戸惑いながら歩いていると、道端に数株の蕗の薹の花を見つけた。やわらかな緑色のガクや乳白色の花びらに微かな暖かさを感じた。
 
佐久間常雄1-2

 今日、紹介するこけしは佐久間常雄工人の復活初期のもので、昭和47年ごろの作と想像する。大きさは7寸、顔の描きかたなど如何にも復活して間もない稚拙な筆使いを感じる。
 戦前の佐常作のこけしを「運筆ぎこちなく、表情固いが、古拙かつ古雅である。(中屋惣舜氏)」と評する見方もあるように本作も戦後の作ではあるが、拙い運筆の中に捨てがたい面白味、鄙びた情味を残している。

佐久間常雄1-1

 私は、昭和54年7月に土湯のアサヒ写真館で佐常さんの米吉型のこけしを入手したのが最初の出会いである。あれから40年近い歳月が流れた。懐かしく思い出しては、時々手に取って眺めることがある。

佐久間常雄1

 佐久間常雄は明治39年9月10日に佐久間常松の2男として土湯に生まれた。父常松は佐久間浅之助の3男で浅之助ゆずりの腕の良い木地職人だった。父は湊屋離散後、家族を伴い明治39年11月に北海道に渡った。大正5年11月に父常松が没し、その年の暮れに母とともに福島に戻った。母ミノは叔父米吉と再婚した。
 木地は大正7年、12歳の時に伯父由吉について2か月という短い期間ではあるが修業した。その後は鉄工所の経営や応召、徴用など、何度か木地業から離れては再開を繰り返している。昭和47年ごろより本格的に米吉型や由吉型のこけしを作りはじめたが、晩年は長くこけしの制作を休止していた。平成8年5月18日に91歳の生涯に幕を閉じている。

こけしの話324

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小野寺徳一1 木地山のこけし

小野寺徳一1 木地山のこけし

  早いもので3月になってしまった。月日の経つ早さを異常に早く感じるこの頃である。朝、庭に出てみると、ヒメコブシのモコモコとした毛に覆われた蕾が大きく膨らんでいた。あと2週間もすれば淡いピンクの花をたくさん咲かせる。待ち遠しい想いがする。

小野寺徳一1-2

 今日は小野寺徳一工人作のこけしで大は6寸、造り付の胴には松竹梅の絵柄の着物をが描かれ、井桁模様の前垂れを締めている。顔は細い筆使いで目、鼻、口を描いている。特に湾曲が大きく細い眉と目に艶めいた「色香」のようなものを感じる。

小野寺徳一1-1

 小野寺徳一工人は明治35年生まれで、木地は高橋徳左衛門と小椋泰一郎に師事して修業したとあるが、あまり資料になるようなものを見つけることが出来なかった。昭和23年に長男小野寺正徳が生まれ、正徳は昭和37年ごろから父徳一に師事し木地を修業している。晩年の徳一のこけしは正徳が描彩していたと言われることがあるが定かではない。没年は昭和48年である。

小野寺徳一1
 
 東日本大震災の余震と思われる大きな揺れが最近2度ほどあり、こけしが倒れていた。今日はこけしを棚から取り出し、乾拭きしながら整理をした。その中で久しぶりに小野寺徳一工人のこけしを手に取しみじみと眺める機会ができた。

こけしの話323

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