Latest Entries
高橋雄司1 親子
高橋雄司1 親子
昭和63年10月2日に高橋雄司親子のこけしを購入したことを私のブログ「SOUDO舎日記 こけし物語6」に書いているが、その時に一緒に購入した雄司のこけしを紹介する。
高橋雄司工人は昭和9年11月12日に兵次郎の長男として生まれた。昭和25年ごろから父・高橋兵次郎について木地を修業し、昭和39年ごろにこけしを作り始めた。父の作風である縞模様の着物姿のこけしを多く作り続けている。
私は兵次郎一家のこけしは縞模様の着物姿しか見ていなかったので赤い菊を描いた胴模様を見て新鮮に思え手にしたものだ。
2枚目の写真はその時に購入した父子のこけしだ。雄司のこけしは8寸、秀雄のこけしは6寸である。父雄司は兵次郎からこけしの技術を受け継ぎ守ってきた。そして息子秀雄が後継者の道を歩みだし一安心した時期の作品だになる。こけしの顔も嬉しそうに目を細め笑っている。
こけしの話88
昭和63年10月2日に高橋雄司親子のこけしを購入したことを私のブログ「SOUDO舎日記 こけし物語6」に書いているが、その時に一緒に購入した雄司のこけしを紹介する。
高橋雄司工人は昭和9年11月12日に兵次郎の長男として生まれた。昭和25年ごろから父・高橋兵次郎について木地を修業し、昭和39年ごろにこけしを作り始めた。父の作風である縞模様の着物姿のこけしを多く作り続けている。
私は兵次郎一家のこけしは縞模様の着物姿しか見ていなかったので赤い菊を描いた胴模様を見て新鮮に思え手にしたものだ。
2枚目の写真はその時に購入した父子のこけしだ。雄司のこけしは8寸、秀雄のこけしは6寸である。父雄司は兵次郎からこけしの技術を受け継ぎ守ってきた。そして息子秀雄が後継者の道を歩みだし一安心した時期の作品だになる。こけしの顔も嬉しそうに目を細め笑っている。
こけしの話88
スポンサーサイト