2017-06

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小野寺徳一1 木地山のこけし

小野寺徳一1 木地山のこけし

  早いもので3月になってしまった。月日の経つ早さを異常に早く感じるこの頃である。朝、庭に出てみると、ヒメコブシのモコモコとした毛に覆われた蕾が大きく膨らんでいた。あと2週間もすれば淡いピンクの花をたくさん咲かせる。待ち遠しい想いがする。

小野寺徳一1-2

 今日は小野寺徳一工人作のこけしで大は6寸、造り付の胴には松竹梅の絵柄の着物をが描かれ、井桁模様の前垂れを締めている。顔は細い筆使いで目、鼻、口を描いている。特に湾曲が大きく細い眉と目に艶めいた「色香」のようなものを感じる。

小野寺徳一1-1

 小野寺徳一工人は明治35年生まれで、木地は高橋徳左衛門と小椋泰一郎に師事して修業したとあるが、あまり資料になるようなものを見つけることが出来なかった。昭和23年に長男小野寺正徳が生まれ、正徳は昭和37年ごろから父徳一に師事し木地を修業している。晩年の徳一のこけしは正徳が描彩していたと言われることがあるが定かではない。没年は昭和48年である。

小野寺徳一1
 
 東日本大震災の余震と思われる大きな揺れが最近2度ほどあり、こけしが倒れていた。今日はこけしを棚から取り出し、乾拭きしながら整理をした。その中で久しぶりに小野寺徳一工人のこけしを手に取しみじみと眺める機会ができた。

こけしの話323

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阿部平四郎5 慈愛の表情

阿部平四郎5 慈愛の表情

 香取神宮の小さなカフェ「UNO café」に1ヶ月ぶりに薬膳カレーが復活した。日曜限定の一品であり、金曜日の晩に仕込み2晩寝かせ日曜日のお昼に提供する。
 色々なスパイスを合わせ、たくさんの茸や野菜、ひき肉と何種類かの豆を入れて煮込む、出来立ては口に入れると尖がった辛さを感じるが時間の経過とともにまろやかに馴染んでゆき美味しい。今日、食べごろの薬膳カレーを食べてきた。

阿部平四郎5-2 - コピー

 「UNO café」のコーヒーは自家焙煎で挽きたての豆を使って淹れるので香が豊かで深い。参拝客に混じって、昔懐かしいラーメンや薬膳カレーを食べコーヒーを楽しむ地元の常連客もやってくる。

阿部平四郎5-1 - コピー

 今日は阿部平四郎さんの泰一郎型のこけしで大きさは6寸、制作時期は昭和40年代後半である。胴は緩やかに括れ肩に段が付き、サラサラと菊の花が描かれ全体的に柔らかいフォルムが美しい。素朴な、この泰一郎の型が木地山のこけしの原点のように感じる。

阿部平四郎5 - コピー

 インターネットで阿部平四郎さんの記事を探していたら「阿部平四郎さんとの出会い」という一文があり、その1節を引用させて頂くと「私の目は自然と秋田のこけしに移っていった。数ある中から清楚で純朴な、笑顔が可愛く慈愛に満ちた表情のこけしが私の目に入った。そのこけしが阿部平四郎こけしであった。」

 この一文を咀嚼しながら、平四郎さんが作った泰一郎型のこけしを机の上に置いて眺めている。

こけしの話322

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阿部平四郎4 小さなこけし

阿部平四郎4 小さなこけし

 先日(2月11日)、筑波山を下山してから昼食に「松屋製麺所」という麺を製造しながら有料で試食ができる店に入った。2015年8月にオープンしたそうだが、私は最近になって知った。喜多方系のラーメンで麺は手揉みの縮れ麺で、つるつるシコシコとして小麦の香りを微かに感じ、魚介系の醤油味のスープに良く絡み美味しかった。

阿部平四郎4-3

 大正時代の建物を当時の雰囲気を残したままリノベーションした店舗は、筑波山をバックにして何とも言えない郷愁を感じる。ただ5、6人しか座れないカウンター席では、生麵を買いに来たお客様の大きな話し声が耳に入り、常に後ろから麺を待っている人の目線を感じながら食べるのは少し落ち着かない気もしないではない。100%の満足を望むのは無理があるのかもしれない。

阿部平四郎4-2

 松屋製麺所のコンセプトは「自然を楽しむ、自然を味わう、自然と営む」だそうであり、これからも筑波山に登り自然に触れ、天然素材のみを使った松屋のラーメンをセットに楽しんで行きたいと思っている。

阿部平四郎4-1

 今日は阿部平四郎さんの2寸3分の小さなこけしで、制作時期は不明である。胴は中ほどが括れており、肩が段になっている。手慣れた筆使いでサラッと菊の花を描き、顔は幼児のように小さくつぼめた口が愛らしい。眺めていると、自然に私の肩の力が抜け、童心という世界に引き込まれて行くような気がする。

阿部平四郎4
 
 最近、阿部平四郎さんのこけしについて検索していたら「木人子室」の中に「阿部平四郎さんのこと」と題した一文があり、西田峯吉氏との出会いや西田氏所蔵の「米吉型」と対峙し復元してゆく姿勢など読みゆくうちに深く私は感じ入ることができた。

こけしの話321

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阿部平四郎3 不気味に笑う

阿部平四郎3 泰一郎型

 昨日(2月11日)、筑波山に登ってきた。毎年、年末に筑波山登山を恒例にしていたが、去年は風邪で寝込んでしまい果たせなかった。
 朝4時に我が家を出発し、6時ごろ筑波山神社の駐車場に着いた。前日、雪が降ったので比較的岩場の少ない御幸ヶ原のコースを選び、中腹からは積雪が多くなってきたのでアイゼンをつけて登った。冬山の経験もなく、大した装備も持たないので慎重に雪を踏み締めて山頂に辿り着いた。

阿部平四郎3-2

 山頂では、所々に雪と氷に覆われた岩があり、冷たい風が吹いていた。空は青く外気は澄み渡り、遠くは富士山や日本アルプスが雲の上に浮かび、南東の方向にはスカイツリーを微かに望むことが出来た。

阿部平四郎3-1

 今日も阿部平四郎さんのこけしを紹介する。大きさは4寸で制作時期は不明である。胴は末広がりで縞模様の着物を着て前垂れを締めている。緑と黒の縦縞の着物は線が掠れている。ほっそりと面長な顔に黒く小さな一筆目を描き、少し開いたような口は笑っているように見える。

阿部平四郎3

 この掌に乗るような小さな平四郎さんのこけしが好きで、1つだけ机の上に置いて眺めることがある。怖そうな黒い目、笑っているような口、何となく不気味に映っていると感じるのは私だけだろうか。
 
こけしの話320

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阿部平四郎2 泰一郎型

阿部平四郎2 泰一郎型

 立春(2月4日)が過ぎ暖かく感じている。庭に植えた紅侘助の花が満開になっている。庭の草木を眺めていると確実に春という季節の扉が開き始めていることが分かる。天気予報では10日ごろに少し寒さが戻ると予想しており油断はできない。

阿部平四郎2-2

 時候の挨拶で、立春が過ぎると「余寒の候」と拝啓のあとに付けることを教えられた記憶はあるが、今まで一度も使ったことはない。その先輩は「余寒」と「寒の戻り」の違いも教えてくれた。今、元気に余生を過ごしているのだろうか。

 還暦を過ぎたころから、遠い昔の記憶が鮮明に蘇ることがあり、それはそれで面白いと感じている。

 私がこけしを集め始めたころ、木地山系では小椋久太郎さんと佐藤秀一さんのこけしは良く見かけ手に入れることができたが、阿部平四郎さんのこけしには出会う機会がなかった。私の探し方が悪く、こけしの産地を訪ねる範囲も狭かったせいかも知れない。地方に住んでいると当時は、第3次こけしブームと言われている「今」とは比べものにならないほど難しかった。
 青森県出身のO君や山形県出身のYさんが帰省する度に阿部平四郎さんのこけしをお願いし、その甲斐があり前出のTさんから頂いた米吉型を含め平四郎さんのこけしを何本か手にすることができた。

阿部平四郎2-1

 今日、紹介するこけしは阿部平四郎さんの小椋泰一郎型で大きさは6寸2分、縦縞の着物に帯を締め井桁模様の前掛け姿である。面長でラッキョウのような形の頭、眠っているような一筆目、点のような小さな口、木地山系ののこけしを見ていると描彩や形態が素朴であり、こけし人形の原型から余り変化することなく今に至っているのではないかと思うことがある。

阿部平四郎2

 阿部平四郎さんは昭和4年3月10日に秋田県川連に生まれる。塗物師阿部常輔の5男、11人兄弟の末っ子だった。昭和22年4月に19歳で高橋兵治郎の弟子になり、その後、新型こけしの下木地を挽いたりしていたが、昭和25年に警察予備隊に入隊し木地業から離れた時期もあった。木地業の再開は昭和27年に川連の自宅に戻ってからで、伝統こけしを本格的に取り組むようになったのは昭和30年前後と言われている。その後、西田峯吉氏との出会いがあり、米吉型や泰一郎型の古品と向き合い真摯に取り組み復元が成されていった。平成25年に行年85歳で惜しまれながらこの世を去って行った。

こけしの話319

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