2017-04

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佐久間常雄2 アサヒ写真館

佐久間常雄2 アサヒ写真館

 私の家にある土湯系のこけしは昭和53年から57年ごろに入手したものが多く残っている。白石の友人宅に1泊し、弥治郎や遠刈田でこけしを買い、その翌日に福島インターチェンジで高速をおり土湯に寄ることが多かった。また、土湯は我が家から一番近いこけしの産地だったので、早朝に家を出て二本松のインターチェンジで降り岳温泉を経由して日帰りで往復することもあった。

佐久間常雄2-1

 昭和54年7月に土湯のアサヒ写真館で佐久間常雄さんの米吉型を購入したのが最初の出会いである。その後は髷を結ったこけしや笠を被ったこけし、同手で大きさの異なる佐常のこけしを土湯温泉に寄るたびにアサヒ写真館で手に入れることが楽しみの一つになっていた。

 今日、紹介するこけしは佐久間常雄さんの米吉型で大きさは8寸、細い胴に赤と緑のロクロ模様を描いている。返しロクロ、木地に染料が滲んでいる。瓜実顔で二筆の目には眼点が入らず、微かにほほえんでいるような口、時間が止まった古風な顔立ちをしているように映っている。

佐久間常雄2

 佐常さんは当時もそうだったが、今もヤフオクなどでは人気のある工人とは言えない。木地から離れていた時期が長く、老いてから本格的にこけしを再開したからかも知れない。叔父であり継父佐久間米吉のこけしに向き合い、愚直に作り続けた佐久間常雄さんは、私の好きな工人の一人であると今でも思っている。

こけしの話325

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佐久間常雄1 古拙の味

佐久間常雄1 古拙の味

 朝の散歩道を冷たい風に吹かれ、戸惑いながら歩いていると、道端に数株の蕗の薹の花を見つけた。やわらかな緑色のガクや乳白色の花びらに微かな暖かさを感じた。
 
佐久間常雄1-2

 今日、紹介するこけしは佐久間常雄工人の復活初期のもので、昭和47年ごろの作と想像する。大きさは7寸、顔の描きかたなど如何にも復活して間もない稚拙な筆使いを感じる。
 戦前の佐常作のこけしを「運筆ぎこちなく、表情固いが、古拙かつ古雅である。(中屋惣舜氏)」と評する見方もあるように本作も戦後の作ではあるが、拙い運筆の中に捨てがたい面白味、鄙びた情味を残している。

佐久間常雄1-1

 私は、昭和54年7月に土湯のアサヒ写真館で佐常さんの米吉型のこけしを入手したのが最初の出会いである。あれから40年近い歳月が流れた。懐かしく思い出しては、時々手に取って眺めることがある。

佐久間常雄1

 佐久間常雄は明治39年9月10日に佐久間常松の2男として土湯に生まれた。父常松は佐久間浅之助の3男で浅之助ゆずりの腕の良い木地職人だった。父は湊屋離散後、家族を伴い明治39年11月に北海道に渡った。大正5年11月に父常松が没し、その年の暮れに母とともに福島に戻った。母ミノは叔父米吉と再婚した。
 木地は大正7年、12歳の時に伯父由吉について2か月という短い期間ではあるが修業した。その後は鉄工所の経営や応召、徴用など、何度か木地業から離れては再開を繰り返している。昭和47年ごろより本格的に米吉型や由吉型のこけしを作りはじめたが、晩年は長くこけしの制作を休止していた。平成8年5月18日に91歳の生涯に幕を閉じている。

こけしの話324

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佐久間芳雄1 方木田時代

佐久間芳雄1 方木田時代

 私がこけしに出会った昭和52、3年頃、土湯系は岳の大内一次や土湯温泉の西山憲一、渡辺忠蔵など鄙で素朴な魅力を求めて工房を訪ね歩いた。

 佐久間芳雄工人のこけしは、あまり土湯温泉の土産屋では見かけることがなかったと記憶しているが、鄙で素朴という私のこだわりからも、あまり熱心に手に入れる努力をしていなかったような気がする。確か最初に手に入れたのはアサヒ写真館だったと思う。椿材を使った木地で、かなり細かい模様の3寸の髷のこけしだった。
 
 佐久間芳雄工人は大正10年1月15日、木地師芳衛の長男として福島市早稲町に生まれた。尋常小学校を卒業してから祖父由吉、父芳衛に木地を習ったが、その後、横浜に働きに出て、昭和19年に召集となり戦地に赴く。復員後は木地の仕事に携わったが、こけしを本格的に作り始めたのは昭和30年頃と言われている。

佐久間芳雄1-2

 今日、紹介するこけしは昭和57、8年頃の作で方木田時代のもので、大きさは5寸で笠を被っている。淡い赤色の染料で繊細に描いた胴模様やキリットした顔の描彩を私は気に入り大切に飾っている。

佐久間芳雄1

 世間では息子俊雄と不和になり方木田に越した昭和54年頃からのこけしは初期の作品と比べ緊張感に欠け散漫気味なったと評されている。

こけしの話222

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佐藤佐志馬1 土湯の思い出

佐藤佐志馬1

 昭和53年7月14日に1泊で、こけしの産地めぐりの旅をした。午前中は東北自動車道の白石インターで下り、弥治郎の新山福雄さんの工房を訪ねた事は以前のブログに書いたが、午後は白石インターから上りの高速に乗り土湯温泉に向かった。土湯温泉には何時ごろ着いたのか思い出せない。陽が落ちてから、佐志馬さんの工房を訪ね、私達は1尺のこけしを友人達は8寸のこけしを譲って頂いた。
 この時は薄暗い玄関で対応して下さった佐志馬さんの顔がこけしの顔とにあまりにも良く似ていたので、旅館への帰り道、坂道を上りながら、こけし工人が描く顔は本人や家族の顔に良く似た作品が多い事などを話しながら歩いたように記憶している。その日の宿は土湯の老舗、向滝旅館だった。

佐志馬1-1

 私の購入した佐志馬さんのこけしは晩年の定型的な作で面白味に欠ける。それでも、このこけしを観ると奈良の古寺を旅して眺めたアルカイックな微笑の仏像の面影を感じるのは私だけだろうか。薄暗い玄関で静かな笑顔でこけしを渡してくれた佐志馬さんの顔がいつまでも脳裏に焼き付き残っている。

佐志馬1

 この旅に同行したのは、私達夫婦と同じ団地の階上に住んでいたH夫妻だった。H夫妻はこの旅の何年か後には離婚している。あの時一緒に買った佐志馬さんのこけしは今頃どうなっているのだろうか。それより今は交流の途絶えてしまった2人の消息が気になる。それから、また一つ思い出した事は、幼い子供達を妻の実家の両親に預け、妻の出産後に初めて出かけた1泊旅行、育児の疲れから解放された一時をこけしの街でささやかに楽しんだ事を追記する。

明治40年2月19日生まれ、師匠:佐藤嘉吉(父)昭和60年12月没 

こけしの話12

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阿部廣史1 土湯の老工

阿部廣史1 土湯の老工

 ヤフーのオークション(5日)で阿部廣史さんの8寸(昭和43年3月作)を落札した。私がこけしを集め始めたころ、阿部廣史さんの作品は金額的にも入手しにくい工人の1人だった。当時、1尺のこけしで3万円以上したかも知れない。貧乏サラリーマン(今も貧乏だが)には勇気のいる金額だった。

阿部広志1-1

 昭和53年の7月14日に土湯を訪れた時に、佐藤佐志馬さんの工房や西山憲一さんの工房で作品を購入したが、当時、最長老だった阿部廣史さんの作品については何も記憶に残っていない。アサヒ写真館あたりに高橋忠蔵さんの作品と一緒に並べられ、値段を見て溜息の一つもついていたのだろうか。

 そもそも、私の中には美意識についての基準があり、洋画家の東郷青児や宮永武彦(すべての作品が悪いとは思わない。若いころの作品は良かった。)のように華美で絢爛としたものを嫌悪する傾向がある。東郷青児が人気作家だったように、阿部さんも超人気の老工だったと思うが、当時の阿部作品は、私に言わせれば、東郷青児的な雰囲気を持っており、さほど欲しいとは思っていなかった。

阿部広志

 今回、落札した作品は胴に椿の絵を描いた後期の作品だ。自分のコレクションとなり、思いが変わるのだろうか。黒目勝ちの瞳は東郷青児の印象は拭えない。老いて、尚、繊細な腕の冴えを見せている。「こけし 美と系譜」に掲載している戦前から30年代の作品と比べれば情味には欠けるが、手に取って間近で見ると今風な娘の雰囲気が伝わって来て、それほど悪くは思わなくなった。

・明治31年8月18日生 ・昭和59年87歳で逝去 ・師匠 阿部金蔵(父)


こけしの話11

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