2017-08

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小関幸雄4 竹井のこけしの素朴さ

小関幸雄4 竹井のこけしの素朴さ

 ここ一週間、暑さが遠ざかり過ごしやすい。昨日、この涼しさに後押しされ筑波山に登った。筑波山は百名山とは言っても標高が1000mに満たない山であり、登り始めて直ぐに汗が滲んできた。頂上付近は曇り空で遠くの景色を見渡すことができなかったが、涼しい風に吹かれ、ほっと一息つくことができた。

小関幸雄4-2

 今回は平野部では見ることが出来ない旅をする蝶アサギマダラを見つけることができた。ヒヨドリソウの花の周りを舞、ご馳走の花の蜜を吸っていた。この蝶も秋になれば暖かい南の島に向かって旅立つ日が来るのだろうかと思いながら眺めていた。(以前、テレビで2000キロも旅するアサギマダラの特集を観たことあり興味があった。)

小関幸雄4-1

 昨日に続き今回も小関幸雄工人のこけしを紹介する。大きさは8寸1分で昭和40年ごろの作である。木地の形態は直胴で頭は平たく、さし込みになっており、顔は口と鼻が小さく、目は一重で黒目が大きく描かれている。

小関幸雄4

 昭和49年から始まった森亮介氏の第4次たつみ時代に小関幸雄の名前が出ている。私が竹井のこけし小関幸雄の「福太郎型や栄五郎型」を最初に手にしたのは昭和52年ごろで、亮介氏の指導のもと、師福太郎の雰囲気が色濃く出ていた。 昨日、今日と小関幸雄の「たつみ時代」以前のこけしを観てきたが、私はその中により多く竹井のこけしの素朴な魅力を感じることができる。

こけしの話340

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小関幸雄3 竹井の鄙びたこけし

小関幸雄3 竹井の鄙びたこけし

 今年は7月に入り、雨は少なく予想以上に早く暑い夏が始まった。心身ともに暑さに対し順化できずに、物憂く気力が萎えて行く日々が続いた。

小関幸雄3-2

 先日、やっと気を取り直して、日光の男体山(標高2486m)の頂に立った。中禅寺湖畔の二荒山神社から標高差1200mを黙々と登り、雲の合間から青く澄んだ中禅寺湖や戦場ヶ原を眺め、足元に咲く小さな夏の花々(口絵=ゴゼンタチバナ)に出会った。豊かな自然に触れ普段のリズムを取り戻すことが出来た。

小関幸雄3-1

 今日、紹介するこけしは小関幸雄工人の作品で昭和30年前後の作と思われ、大きさは8寸である。胴は括れ、頭はさし込みになっている。顔は細い筆使いで、小さな口に小さな鼻、少し垂れ気味に描かれ目が弱々しく、それが素朴で鄙びているように映り魅力になっている。

小関幸雄3

 小関幸雄は、大正12年から3年間、冬の農閑期に弥治郎の新山福太郎のもとで木地の手ほどきを受け、昭和14年から山形県米沢市竹井の地にロクロを据え木地を挽き始めた。

こけしの話339

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小関幸雄2 竹井のこけし

小関幸雄2 竹井のこけし

 香取神宮の仲見世「うのカフェ」に行き中華ソバを食べた。テーブルに運ばれてきた時、子供の頃に食べたラーメンの香りが蘇った。香りを楽しみ、スープを一口すするとこれも又懐かしい味がした
 海苔にナルトにホウレンソウ、メンマにチャーシュー、昔は普通に食べていた中華ソバ。この店は参拝客に混じって常連客がコーヒーやラーメンを楽しみに来ている。3代で築き上げた店主の真心の現われなのかもと思う。

小関幸雄2-2
 
 今日のこけしの大きさは8寸5分で胴底には昭和56年と記されている。少し面長な顔、細く長い胴には重ね菊が描かれている。小さく可憐な鼻と口に比べ一重に描いた眼が大きく、このアンバランス感がグロ味とまでは行かないまでも独特の雰囲気があり魅力になっている。

小関幸雄2-1

 木地業を開業した初期には「ステッキ」呼ばれた細長い胴で角長の顔のこけしを作っていたが、この細い胴のこけしはそのころの名残だろうか。

小関幸雄2

 小関幸雄工人は大正2年11月21日に生まれ、農業の傍ら昭和12年から3年ほど冬期のみ弥治郎の新山福太郎のもとで修業し、昭和14年に竹井の自宅で木地業を始めた。平成16年12月に92歳で没している。


こけしの話279


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小関幸雄1 福太郎型

 小関幸雄1 福太郎型

 つくば市北条に「名無し」というラーメン屋さんがある。「店の名前も場所も覚えていない、小さい頃に食べた醤油ラーメン」というコンセプトで味を追求している。

小関幸雄1-2

 こってり系のラーメンが美味しいと思っていた時期もあったが最近はあっさり系の醤油や塩に自然と向くようになった。この「名無し」のラーメンは自家製の縮れ麺で喉越しが良く小麦の香り微かに口の中に広がる。日高昆布、鶏とモミジからとったスープは優しく柔らな仕上がりになっている。

 今日のこけしは米沢市竹井の小関幸雄工人の福太郎型で大きさは8寸、制作時期は昭和53年3月、電話で注文し送って頂いたものである。

小関幸雄1-1

 小関工人にはお会いしたことはないが電話で2度ほどこけしを注文し購入している。電話の対応はいつも奥様で、失礼になるかもわからないが独特のイントネーションと方言で良く聞き取れずに何度も聞き返したことを思い出す。私は電話の最後に「一度、お邪魔しますから、宜しくお願いします。」といつも言い電話を切った。何度も米沢を通り蔵王や天童に旅していたので、小関工人にお会いするチャンスはあったのに実現しなかったことが心残りになっている

小関幸雄1

 先日、「名無し」の懐かしいラーメンに出会った。無性に竹井の福太郎型のこけしを眺めたくなった。


こけしの話278


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佐藤伝伍1 新鹿沢のこけし

佐藤伝伍1 新鹿沢のこけし

 佐藤伝伍は明治45年3月28日、伝内の四男として宮城県刈田郡福岡村弥治郎に生まれた。兄に伝、伝喜がいる。父伝内は大正中頃より諸国を流浪していたので、昭和2年頃より兄伝や兄伝喜の指導で木地を学び、兄たちの後について弟子屈や米沢などで木地を挽きこけしを作る。

佐藤伝伍1-1

 昭和14年に群馬県吾妻郡新鹿沢温泉に移り、自分の作業所を持ちこけしを作っていたが、昭和18年に応召し20年3月20日に34歳の若さで戦死した。

 今回のこけしは伝伍工人の後期の特徴が濃く出ている作品で大きさは8寸である。全体的に褪色が進み保存状態が悪い。ギョロッとした大きな目でユーモラスな顔を、胴下部の裾が少し広がり紫色の太い線と赤い線が2本引かれて、赤と緑の染料で菊の花が3輪描かれているが、真ん中の緑で描いた菊が消えかけている。胴の底には「新かざわこけし」とスタンプが押してある。
 
佐藤伝伍1

 褪色が進み光沢が強いためにフラッシュを使えず上手く写真を写せなかった。暗めの画像の中に七十数年の時の流れが浮かんでくる。


 映画監督の「西川美和」の小説に「その日東京駅五時二十五分発」という作品がある。終戦記念日の今日、読み返してみた。

 西川氏の伯父が昭和20年の春に召集され8月に終戦を迎えるまでの3ヶ月間、東京都清瀬市にあった陸軍特殊情報部の傘下で通信兵として訓練を受けた体験を綴ったA4十数ページの手記をもとにして、2011年の震災の年に書いた百数ページの中編小説である。

 少年時代の祖父の思い出から始まる。終戦末期、3ヶ月の軍隊での生活を体験して8月14日に伯父が所属していた通信隊は解散になる。翌15日の早朝に東京駅から大阪行きの列車に乗り、大阪で戦友と別れ門司行の列車に乗り継ぎ、翌朝、何もかも失ってしまった広島駅に降り経った。太田川の近くを歩いていると、大きな荷物を自転車に積み運んでいる姉妹に出会う。荒涼とした瓦礫の中に逞しく強かに生き抜く姿をみて、再び蘇ろうとする生命(いのち)を感じたところで、この小説は終わっている。

佐藤伝伍1-2

 この小説の中で伯父は「色んなものを読んだり、歌ったり、暗記させられたりしたけれど、ぼくは結局戦争のことはよくわかっていないと思う。……中略。軍隊は好きじゃない。点呼も行進も嫌いだ。飯もひどい。けれどずっとぶたれたり蹴られたりしつづけるのはたまらないから、下士官になって出世して、軍人として生きて行くのも悪くないと思った。……中略。戦うのも、訓練に耐えるのも、徴兵検査で肛門をひらいて見せたのも、全部そうしろと言われたからにすぎない。だからと言って何一つ、自分でしようと思ったことじゃない。だからといって何一つ、抗おうと思ったことがない。ぼくは何も考えない。」「ぼくはこれでも国を愛しているのだろうか?」 と自問する。
 この小説には戦闘の場面はない。私にはうまく解説はできないが、この一文の中に、ただ、その時代を生きた多くの、一兵卒の、本質を語っているような気がしてならない。新鹿沢のこけしを眺めながらぼんやりと考える。


こけしの話 261


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