2017-10

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奥瀬鉄則2 盛秀地蔵型

 奥瀬鉄則2 盛秀地蔵型

 昨日(10月10日)、山梨県の瑞牆(みずがき2230m)山に登った。予想していたより紅葉には少し早かった。ミズナラやコメツガの森を抜け標高を上げてゆくと少しづつだが樹々の色が秋に風景に変わってゆく。天気の方は頂に立たころには青空がすっかり消え、雲が周囲の山々を覆い遠くを望むことは出来なくなっていた。頂上で淹れ立てのコーヒーを飲み、時折雲の合間から見え隠れする険しい岩々や樹々の絶景を眺め心身共にリセットして行くのを確かめた。

奥瀬鉄則2-3

 前回、「佐藤善二1」に登場した青森県出身のK君が、青森の実家に帰省するたびに、私は奥瀬鉄則のこけしが売っていたら買って来て欲しいとお願いしていたが実現することはなかった。当時、盛秀太郎型の後継者として絶大な人気があり予約しても何か月か待たなくてはならない状態であり、他の工人達と同じように青森市内の土産屋に極々普通に出回る事は無かったのではと想像する。

奥瀬鉄則2-1

 今日、紹介する作品は奥瀬鉄則作のこけしで大きさは6寸、制作時期は平成元年5月ごろである。木地の形態は地蔵型で胴が太く、ロクロ線とアイヌ模様を組み合わせており中心より少し上の方に牡丹の花が描かれている。顔は八の字の眉に大きく湾曲した鯨目、その周囲を淡いピンクの染料で染め、上唇は波模様のような形をしている。私は顔の描写と木地の形態からサーカスのピエロを連想した。

奥瀬鉄則地蔵型こけし2

 先日、K君のいる職場に仕事を依頼した関係で久しぶりに顔を合わせる機会があった。その時にこけしの話をしてみたが、K君は何の反応も示さずこけしの話題はそれで終わってしまった。私は今、一抹の寂しさを感じながら机の上に津軽のこけしを数体並べ眺めている。

 こけしの話302

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奥瀬鉄則1 幸兵衛型

 奥瀬鉄則1 幸兵衛型

 8月のはじめは青々とした水田を見ながらのウォーキングだったが、久々に近所の畦道に立ってみると半分以上の田圃は稲刈りが済んでいた。黄色く色付いた田圃は台風や大雨の爪痕が残っている。今、コンバインの性能も飛躍的に向上しているので大丈夫だと思うが、倒れた稲を見ると刈り取れるのか心配になる。

奥瀬鉄則1-2

 今日、紹介するのは奥瀬鉄則作の幸兵衛型のこけしで大きさが8寸、制作時期は昭和48年12月と胴底に記されている。頭が小さくスマートな形態をしている。キッと見開いた眼、キリットと結んだ口、どことなく勝気な少女の面影を想い浮かべてしまう。奥瀬さんの作る幸兵衛型は師盛秀太郎が作る幸兵衛型でもなく、兄弟弟子の佐藤善二が描く幸兵衛型でもない鉄則の幸兵衛型を作った。

奥瀬鉄則1-1

 奥瀬さんは昭和35年ごろから幸兵衛型を作っている。「こけし千夜一夜物語」に詳しい内容が掲載されているが、初期の作品は頭が大きく3頭身ぐらいのものもあり顔の描彩もグロテスクである。描彩や形態の変化は昭和47年ごろまで続いたといわれており、経年の変化を追いながら楽しむのも面白いかも知れない。

 本作は昭和47年以降の顔や牡丹の描き方が固定化された時期のもので、初期の幸兵衛型と比べれば多少面白味に欠けるかも知れないが、私の好きな津軽のこけしの一つとして眺めている。

奥瀬鉄則1

 奥瀬さんは昭和15年8月21日に青森県黒石市の農家に生まれた。昭和31年、16歳の時に盛秀太郎の内弟子として住み込みで修業し、昭和35年ごろよりこけしを作り始め、昭和44年に独立した。盛秀太郎の後継者として大きな地位を築いたが、平成2年に50歳という若さでこの世を去った。

 こけしの話299

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