2017-06

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佐藤善二1 幸兵衛型

 佐藤善二1 幸兵衛型

 つい先日までは、カキ氷や冷やし中華を求めて香取神宮に通っていたが、今日は「UNOカフェ」で「昔ながらの中華そば」を食べた。湯気の立つスープを啜ると昭和の音が聞こえ風景が浮かび上がり少年時代にタイムスリップする。
 私のブログに何度か登場している UNOカフェの「昔ながらの中華そば」は繰り返し食べても飽きることがない美味さがある。

佐藤善二1-2

 昭和52、3年ごろ私の職場に青森県出身のK君がいた。私より4、5歳年下の独身だったので、社宅に招待し夕飯をご馳走することがあり、お互いに酒好きだったので良く深夜まで飲んだ。彼は毎年お正月とお盆に故郷の青森に帰省し、青森の銘酒「田酒」や「桃川」と津軽系の工人のこけしをお土産に買って来てくれた。私はK君のお陰で善二さんや善二さんの弟子達が作る幸兵衛型に親近感を持っている。

佐藤善二1-1

 今日のこけしは佐藤善二の紫添え葉の幸兵衛型で大きさは6寸、制作時期は昭和45年(鉛筆の書き込みがあるがあ一桁めが判読出来ない)前後と思われる。直胴で上下に赤と紫の染料でロクロ模様が引かれ、少し紫の線が掠れており、木地が柔らかく滲んでいる。胴の中ほどに紅い牡丹の花が1輪と紫色の添え葉が描かれている。小さな髷を結い、顔はやや太い眉に紡錘形の眼、鼻と口のバランスも良く穏やかな表情をしており観音像を思わせるような輝きを感じる。

佐藤善二1

 佐藤善二は大正14年5月14日に青森県西津軽郡森田町に生まれる。昭和28年に横浜市で会社員として働きながら木地を見取りで身につけ、更に小田原の神奈川県立土木工芸指導所に通い、こけし製作を学び新型こけしを作り始めた。昭和30年6月に青森に戻り、9月ごろから盛秀太郎に師事し正式に木地を学び昭和33年に独立した。独立後は色々な幸兵衛型を復元しものにして行き、後に伊太郎型や多兵衛型なども作り成功している。

 行動力があり、常に先頭に立ち津軽こけしの普及に努め多くの弟子を育てた功績は大きい。昭和60年に惜しまれながら61歳の生涯を閉じた。

 こけしの話301

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佐藤佳樹1 津軽のこけし

 佐藤佳樹1 津軽のこけし

 昨日、紹介した「UNOCAFE(ウノカフェ)」は香取神宮の参道に並ぶお土産屋や茶店の中の一軒で、中華そばのチャーシューやメンマ、草団子の餡など、味にこだわりがあり時間をかけ店の中で作っている。コーヒーも店主が自ら豆を選び焙煎する。コーヒーマシーンはヨーロッパ製の手動式で熟練しないと淹れるのが難しいと聞いた。香りも味も抜群である。

佐藤佳樹1-3

 先日のブログで紹介したスタットレスタイヤを試したくて雪の降る中、那須に行った。雪道はチェンを装着しての運転は相当前に経験しているがスタットレスタイヤでの運転は初めてである。途中、吹雪かれたが無事にブレーキやハンドルの感覚を掴み帰宅することが出来た。

佐藤佳樹1-2

 帰りは那須湯本の「諸国民芸 みちのく」に寄り、コーヒーを注文し、店に並ぶこけしや張子、土人形などを眺めた。今回は津軽系の佐藤佳樹工人のこけしを購入した。

佐藤佳樹1-1

 大きさは5寸8分、直胴の幸兵衛型で胴模様は一輪の牡丹が描かれて、仏画を思わせる端正な顔の描彩に惹かれ、私は家に連れ帰えることにした。晩年の作だろう。「諸国民芸みちのく」には保存状態の良い佳樹さんのこけしがそのほかにも何本か並んでいた。

佐藤佳樹1

 佐藤佳樹さんは昭和24年9月26日に青森県温湯のこけし工人佐藤善二の長男として生まれる。昭和46年、23歳のときに父善二について木地の修業を始めた。こけしは昭和48年4月ごろ作り始めている。平成19年1月27日に59歳の若さで急逝したことが惜しまれる。

 こけしの話236

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