2017-04

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奥山喜代治5 小寸こけし 

奥山喜代治5 小寸こけし

 今日は2寸弱の奥山喜代治と思われるこけしを紹介する。署名が無いく、胴の底にはロクロに固定するための丸穴が明けられている。全体的に古色を帯ており緑色の褪色が進んで消えかけている。制作時期は昭和20年代後半から昭和30年代前半にかけての作と想像するが正確には分からない。

喜代治5-1

 我が家のこけし棚の最前列にはミニサイズのこけしが沢山並んでいる。その中にありこの2寸に満たない喜代治のこけしは他を圧倒する存在感がある。

喜代治5

 写真で見ると澄ました口、涼やかな目、優しい北国の童女の顔に映ってみえる。

こけしの話80

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奥山喜代治4 近藤寫し

奥山喜代治4 近藤寫し

 今日、紹介するこけしは「奥山喜代治1」と同じ時期、昭和34年(55歳)の作で大きさは6寸である。胴底には奥山喜代治のサインの他に「寫し近藤氏」と本人の文字で記載している。たぶん近藤氏のコレクションの中にあった運七作か本人の古作を喜代治が復元したものと想像する。

喜代治4-1
 
 頭の大きさに比べ胴が細く昭和30年代前半の特徴が出ており、顔はグロ味がやや弱く穏やかではあるが味わい深い雰囲気を持っている。全体的に日焼けと褪色が激しく5段に重ねた菊の葉の緑が薄っすらと残り、写真では良く見えないが顎の下にかなり大きな打ち傷があり残念である。

喜代治4

 奥山喜代治は昭和28年~30年あたりが戦後のピークと言われている。本作もそのころの面影が残っており大切にコレクションしている。

こけしの話78

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奥山喜代治3 スタンプ

奥山喜代治3 スタンプ

 肘折温泉にはいつか行きたいと思っていた。6.7年前になるが出羽三山を旅行することになり、途中、肘折温泉に寄り庫冶さんや鈴木征一さんのこけしを直接本人から譲って貰えればと思って出発した。初日は秋田に泊まり翌日は肘折へと向う予定だったが、途中で立ち寄った角館で武家屋敷の魅力魅かれ、予定の時間を大幅にオーバーしてしまい、計画していた肘折行きは幻に終わってしまった。

 肘折温泉も鈴木征一さんだけになってしまい今は寂しい限りだ。いつか近いうちに行きたいと思う。

喜代治3-1

 今回は奥山喜代治の作品で大きさは8寸、以前、奥山喜代治1で紹介した55歳の時の作よりも少し古いような気がする。胴模様は重ね菊が5段描かれ、向かって左側の花弁の方が大きく、力強く描かれている。顔の描彩のグロテスク味は今回の方が一層際立っている。

喜代治3

 胴の底と後ろに「奥山喜代治」というスタンプが押してあり、詳しい蒐集家ならスタンプはいつぐらいの時期に使っていたか分かるかも知れない。私の持っている乏しい資料では見つけることはできなかった。いつか長男の庫冶工人に会って教えて頂ければと思っていた時期もあったが今は幻となってしまった。

こけしの話31

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奥山喜代治2 昭和41年作

奥山喜代治2 昭和41年作

 私が所有している肘折系のこけしは工人の数が少なかったので弥冶郎や遠刈田、鳴子と比べると圧倒的に少なかった。こけしを集め始めた当時、肘折に奥山庫冶さんと佐藤重之助さんがいて、仙台では巳之助(昭和53年3月没)さん、きくさん、昭一さんの一家が伝統を守っていただけだった。庫冶さんと重之助さんのこけしは弥治郎や土湯などでも見かけ容易に手に入れる事ができたが、佐藤巳之助さん一家のこけしは私が旅して回ったこけしの産地に置いてあった記憶があまり残っていない。ぼんやりとだが、土湯のアサヒ写真館で、当時、長老といわれていた工人達のこけしが入ったガラスケースの中に巳之助さんのこけしがあり欲しいなと思っただけで手が出なかったように記憶する。

奥山喜代治2-1

 今回の作品は奥山喜代治の昭和41年(62歳)の作で、大きさは8寸である。胴模様は遠刈田のこけしを思わせるような3段の重ね菊が描かれ、顔の描彩は喜代治の持ち味のグロテスクな味わいに欠けるようで物足りない気がする。喜代治は昭和40年ごろからこけし専業となったといわれており、物足りなさと何か関連することがあるのかの知れない。

喜代治2

 健康美、目・鼻・口がバランス良く描かれた美しい雪国の娘の顔立ちをしている。

こけしの話30

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奥山喜代治1 昭和34年の喜代治

奥山喜代治1 昭和34年の喜代治

 今日も朝から暑い1日が始まった。外に出るのも辛いので、私は昭和40年(2月~4月)に芸術新潮に連載していた松本清張の「岸田劉生晩景」を読み返した。その中で清張は「麗子像」に触れている。少し引用すると『例外なく人物の顔が大きく、手足が小さい。体軀も矮小で、ずんぐりとしている。(中略)これなども劉生が写実の「迫真」を出そうと考え出した手法だ。グロテスクが劉生のいう卑近の迫真力であり、写実主義が行きついたところであろう。』

喜代治1-1
 
  私が最初に麗子像を観たのは昭和55年頃に茨城県立近代美術館で、何作か描かれている中の1点、「二人麗子像」だった。薄暗い画面の中に細い切れ長の眼、微笑んでいるように見える赤い口、腕が細く不気味な感じさえする。このグロテスクな1枚が、肘折の奥山喜代治が創り描くこけしと印象が重なってしまう。

喜代治1

 口絵のこけしは昭和34年(55歳)の作で大きさは7寸、戦後のピーク期(昭和28年~昭和30年)と言われた時期は過ぎてはいるが、喜代治の持つグロテスクな魅力を如何無く発揮している作品である。

  奥山喜代治は明治38年に山形県北村上郡大久保村に篠原金蔵の子として生まれ、17歳の時に奥山運七の養子となった。木地は、鈴木幸之助に手ほどきを受け、18才から25才まで肘折の尾形工場で働く、その間に佐藤三次(佐藤丑蔵の弟)に師事した。昭和47年1月15日に68歳で没した。

こけしの話29

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