2017-04

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高橋精志16 ぺっけ

高橋精志16 ぺっけ
  
 私がこけしを集め始めたのは昭和52年ごろからである。当時、伝統こけしの入門書などを本を読むと、各系統の特徴やこけしの歴史、用語の解説などからはじまるものが多かった。
 小さな造り付のこけしに関して、「こげす(遠刈田)」「たちこ(鳴子)」「太子型(土湯)」など、形態の違いや呼び方の違いがあることを知ったのもその頃である。弥治郎では5、6寸の造り付で胴の中程が括れていて、裾が広がっている形をしたこけしを「ぺっけ」と呼んでいた。「ぺっけ(べっけ)」の意味を深く追求したことはないが、鹿鳴館時代に洋装をした婦人を模して作られたこけしだと言われている。

高橋精志16-1

 今日、紹介するこけしは高橋精志さんの作で大きさは6寸である。製作時期は胴底に62歳と記されているので昭和49年か昭和50年頃の作品である。造り付の胴には赤と緑、紫の3色でロクロ線が引かれ、染料が少し滲んでいる。頭の中心が赤色、外側が紫色のベレー帽を被り、前髪は描かれず大きめの赤い房飾りが3つ付いている。顔は一重瞼に大きな撥鼻で、二筆の口は小さく、頬紅が薄っすらと塗られ愛らしい。いかにも小倉嘉吉系の流れをくむこけしに仕上がっている。

高橋精志16

 この、精志さんのこけしをいわき湯本駅前のお土産屋さんで見つけたときには、伝統こけしの入門書から得た、覚えたての「ぺっけ」という言葉が頭に浮かび手に取ったことが鮮明に蘇る。姿形が典型的なぺっけであり、鮮やかな色彩の精志さんのこけしが脳裏に残っている。
 今、あらためて眺めてみると、軟らかい木肌にロクロ模様の染料が少し滲んでいる。あまり気にはならないが、最初に出会った時から滲んでいたのだろうか、それとも時間の経過とともに徐々に滲み出してきたものなのだろうかと、記憶を辿ってみたが思い出せない。40年の時が流れ、当時の鮮明な記憶と朧気な記憶が入り混じっていることを、この精志さんが作ったぺっけを眺めながら楽しんでいる。

こけしの話329

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高橋精志15 昭和47年作の精志 

高橋精志15 昭和47年作の精志 
 
 香取神宮の仲見世の一つ「UNOcafe(ウノカフェ)」は夏になると冷やし中華とかき氷が始まる。団子も草団子から焼団子、黒蜜団子に変わる。クーラーを設置していない。窓を全開にした店内に香取の杜からの風が通り抜けるので涼しい。今年のように猛暑が続くと流石に暑いと思うこともある。

高橋精志15-2

 かき氷は電動ではあるが古い時代の機械を使っている。朝、氷屋さんから届いた氷を、その機械で削ると羽毛のようにフワッとしたかき氷になり、口に含むと冷たさを感じる前にスーッと溶けて行く。食べ終わる頃、汗が引き涼しさが伝わる。
 
 今日、妻は黒蜜&黄粉のかき氷を食べ、私はホットコーヒーと焼団子を注文した。

 今回は昭和47年作の高橋精志工人のこけしで大きさは7寸である。なで肩の胴に赤、黄、緑の3色でロクロ模様が描かれている。太目の胴には真丸な頭が乗り、軽く開いた赤い2筆の口、焦点が合わない虚ろな目、このアンバランスな顔をした精志工人のこけしに何とも言えない可笑しみを感じることがある。

高橋精志15-1

 精志さんは昭和44年12月の復活から45年の夏には精助型の復元を果たしているが、復活初期は土橋慶三氏からは「いいこけしは作れないと思っていた。」・佐藤春二工人からは「これはものにならんと思った。」などと評されていたという話が残っている。
 やがて両人からは「精魂込めた良いこけしを作った。慶三氏」・「どうしてどうして立派なこけしを作ってきたので、びっくりした。春二工人」などと両人から評価される工人になっていった。

高橋精志15

 精志工人がこけし作りを復活して2、3年が過ぎたころの作品であり、まだまだ晩年のレベルには至っていないが、その通過点に位置するこけしとして楽しむことができる。

こけしの話263

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高橋精志14 復活期の精助型

高橋精志14 復活期の精助型 
 
 今日、私は定年再雇用の生活になり1年が過ぎた。昨年の今頃、定年と共に担当業務を引き継ぎ残業が激減した事がきっかけとなりランニングを始めた。今でも続いている。最初、走り始めたころは1300メートル/周のコースを1周だけ走るのがやっとだったが、半年かけて少しづつ増やし8周前後(10キロ前後)走れるまでになった。

高橋精志14-1

 梅雨の合間、空は鈍よりとしている。いつもの公園を今が盛りに咲いているクチナシの甘い香りに包まれながら走る。そして月日の流れを感慨深く振り返っている。今日は何となく高橋精志さんの初々しさが残る復活期のこけしを眺めながら酒をゆっくり楽しみたいと思った。

高橋精志14

 今回、紹介するこけしは高橋精志工人の作で胴底には精助型と記され「復活直後」とメモ書きがある。大きさは7寸7分で、黄色く塗った太目の胴には赤、紫、緑の3色でロクロ模様が描かれている。その胴の上に角張った大きな頭が乗り、ベレー帽の下の房飾りはギコチナク見える、まだ慣れない筆使いで目、鼻と口を描き、頬紅が薄く塗られ、少しグロテスクに見えないでもない。

 精志工人の初期の精助型は「いかにも」泥臭く古い時代の弥治郎こけしを物語っているようで面白い。私のブログの2013年6月「こけしの話76」で、もう一つの復活期の精助型を紹介しているので見比べて頂ければ幸いである。

 明治44年生まれの高橋精志工人は、色々な職業を経て。昭和44年12月ごろから木地業を復活させている。昭和45年の夏には精助型の復元を果たしたと記録に残っている。

こけしの話256

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高橋精志13 大子のこけし

 高橋精志13 褪色したこけし     
 
 昭和58年、夏に職場の行事で茨城県大子町の久慈川キャンプ場に行き、家族連れでテントを張り1泊した。翌日の8月26日は袋田の滝を見物したり、滝の入り口に並ぶ土産屋で昼飯を食べたりした。

高橋精志13

 何軒か続く土産屋を順番に見て歩くうちに一軒の土産屋のガラスケースに入った高橋精志のこけしが目に入った。太いロクロ模様の嘉三郎型で正面はかなり色褪せていたが迷うことなく購入した。大きさは1尺でガラ入っている。

高橋精志13-1

 久しぶりに眺めてみると褪色が進んでいる。家に持ち帰った時はもう少し色が残っていたように記憶している。

 キャンプに行った職場の仲間達は何年か後には構造的な不況のなかで、分社化が進み新たな会社が出来バラバラになってしまった。私自身は一度子会社に出向し数年後には今の職場に戻ることができた。運良く会社に戻っても殆ど昔のメンバーと顔を合わせることはない。

 この日焼けし褪色してしまった精志工人のこけしを観ると当時の事が懐かしく蘇る。キャンプ場で食べた西瓜の味やバーベキューの匂いが。

 こけしの話179

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高橋精志12 色褪せた最後のこけし

 高橋精志12 いわきの土産屋で     
 
 高橋精志工人が昭和53年12月に66歳の生涯を閉じて半年が過ぎた6月にいわき湯本駅前の土産屋に行き店の中を覗いてみると無残な姿のこけしが1本残っていた。

高橋精志12

 大きさは3寸で「こけしの話177」で紹介したこけしと同手だが、これが最後の1本だと思うと愛おしくなってしまい買ってしまった。店のどこに飾ってあったのだろうか、正面は色褪せ日に焼けており紫や緑がほとんど消えている。

高橋精志12-1

 その当時は今のようにヤフオクで保存状態の良い精志工人のこけしが安価に購入できるとは想像もできない時代だった。
  今も時々思い出しては眺めている。昭和という時代が遠くなるなかで、この色褪せたこけしが今尚愛おしい。


 こけしの話178

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