2017-04

Latest Entries

岩本芳蔵9 本人型

岩本芳蔵9 本人型

 今日(4月8日)は香取神宮の桜を観に出掛けた。桜は満開だったが冷たい雨が降られ、鳥居を潜り参道を少し歩き引き返した。その後は何時ものように仲見世の一つ「うのcafe」に寄り、昔懐かしい中華ソバとコーヒーを注文した。今日は花よりも暖かいものが欲しい1日になってしまった。

岩本芳蔵9-2

 今日、紹介するこけしは岩本芳藏作の本人型で制作時期は不明ではあるが昭和20年代後半と想像する。大きさは1尺で、やや肩の張った胴の上部と裾に赤と緑のロクロ線が引かれ、大きな牡丹の花が4輪描かれている。椀型の頭頂の蛇の目は中心が黒い丸、その外側を赤い中太線、一番外を太い黒い線で描いている。前髪と横髪が描かれ、横髪は耳が隠れるほどの長さで下部をリボンのように赤い紐結んでいる。顔は丸鼻にキリット結んだ口、目と眉は左右大きく離れ、細く湾曲した三日月目をしている。日に焼けて褪色も進んでいるが、少しアンバランスな雰囲気が私好みである。

岩本芳蔵9-1

 芳藏さんが作る本人型や善吉型のこけしの目は、細い目、ギョロッと見開く大きい目、ほとんどが上下に膨れた紡錘形をしており、三日月型はあまり見かけない。

 私のブログ、こけしの話296(2016年8月7日)と327で紹介しているが、芳藏さんは磯谷直行型のこけしを作ったことがあり、その目は三日月型をしている。
 
岩本芳蔵9
 
 私の空想の世界だが、芳藏さんと父善吉との確執は心の中に何時までも深く残っていた。そして芳藏さんの少年時代に兄のように慕い、木地を教えてくれたことがある磯谷直行の早すぎる死を思い出すたびに寂しさがこみ上げて行く。その時に芳藏さんは父が作ったタコ坊主の大きな目を拒み、直行型の細い三日月型の目を描くことがあったのではないかと、このこけしを眺めながら迷想することがある。

こけしの話328

スポンサーサイト

テーマ:趣味と日記 - ジャンル:趣味・実用

岩本芳蔵8 青坊主

岩本芳蔵8 青坊主

 岩本芳蔵は昭和48年2月に没した。芳藏は昭和31年から善吉型のタコ坊主を復元し、会津若松や猪苗代、中ノ沢の地に多くの弟子を育て来た。私は磐越自動車道が開通するまでは磐梯熱海から母成峠を越え、中ノ沢温泉を経由して土湯温泉や檜原湖方面に向うことが多かった。中ノ沢温泉に入ると土産屋や旅館に大小のタコ坊主が飾ってある光景を眺めながら運転していたことを思い出す。

岩本芳蔵8-4

 一昨年の夏、街外れの公園の駐車場に車を止め、中ノ沢温泉をぶらりと歩いた。福地芳男工人が営んでいたお土産屋「かどや物産」に入ると土産物と一緒にタコ坊主が飾ってあった。芳男工人が昭和60年に亡くなり三十数年の時を経て色褪せたタコ坊主の前で、奥様が夫の思い出を語って下さった。それ以外、中ノ沢の街に昔の面影を見つける事ができなかった。第三次こけしブームと言われていることが嘘のように、このタコ坊主が生まれた中ノ沢は人々に忘れられ、ひっそりと眠るように昭和のまま時が止まっていた。

岩本芳蔵8-1

 今日、紹介するこけしは岩本芳藏作の青坊主で制作時期は不明である。大きさは6寸5分で胴は赤と緑、淡いピンクの3色を使ってロクロ模様に井桁と花の絵が描かれている。頭の青は少し色褪せており、心持垂れ気味の眼、すっと長く伸びた鼻、少し開いた口、じっと見つめていると憂いを持った顔に映るのは気のせいだろうか。

岩本芳蔵8

 今は芳蔵が育てた直弟子は数人となり、若手の後継者もほとんど育っていない現実がある。

こけしの話297

テーマ:趣味と日記 - ジャンル:趣味・実用

岩本芳蔵7 磯谷(いそがい)直行型

岩本芳蔵7 磯谷(いそがい)直行型 

 昨日(8月6日)、那須連山を登ってきた。このところ関東地方の山沿いは、不安定な空模様が続いていたが、前日の天気予報で登山のコンディションは良好ということで早朝に出発した。好天気に恵まれ、朝6時半に登山口の県営駐車場から登り始め、峰の茶屋を経由して朝日岳、三本槍岳、茶臼岳の順に登った。

岩本芳蔵7-4

 那須連山は標高2000mに満たない山々が連なるが、クサリ場やゴロゴロと石が転がっているガレ場、ハエマツやクマザザの茂る道、いろいろな場面に出会い、緊張と疲労のなかで、楽しい登山を味わうことができる。

 福島県と栃木県の県境の三本槍岳を登り、頂から北東の方角には会津地方の山々が連なり、私は薄っすらと霞がかかるなか、土湯温泉や中ノ沢温泉を仰ぎ見た。

岩本芳蔵7-3

 今日は岩本芳藏が作った磯谷直行型のこけしを紹介する。大きさは8寸で制作時期は残念ながら不明である。様式的には遠刈田系の作りで、胴模様はウズラ手と呼ばれ細かな筆使いで重ね菊が描かれている。頭は角ばりやや面長で、二重瞼に小さな鼻と口を描いた顔がクラシックで穏やかな印象が、芳藏の本人型や善吉型とは違う新鮮な想いが生まれて来る。

岩本芳蔵7-1

 芳藏と磯谷直行の接点を調べてみると、父善吉が大正11年に磯谷茂の山市商店の職人に落ち着いた時から直行との親交が始まっている。芳藏が小学校を卒業した10代前半から父善吉を師として木地の修行に入ったが、そのころ山市商店で働いていた磯谷直行や佐藤豊治などからも指導を受けたと伝えられている。

岩本芳蔵7

 直行は昭和7年に崖の上から転落し33歳の若さで亡くなっている。芳藏と直行の接点は10数年と短い。そのなかで芳藏が作る磯谷直行型のこけしは直行本人から直に受け継いだものなのか、それとも後に芳藏の記憶や原こけしを元に復元したものか興味深いものがあり、資料やWebなどでその記述を探してみたが見つけることが出来なかった。

こけしの話296

テーマ:趣味と日記 - ジャンル:趣味・実用

岩本芳蔵6 初期の善吉型

岩本芳蔵6 初期の善吉型

 夏のウォーキングは蝉の声を聞き、水田を渡る風に吹かれながら汗を流し、4、50分ほど歩き街の中心に足を踏み入れる。私の行きつけのレストラン「チェレステ」が5時半から開店している。タオルで汗を拭ってテーブルに落ち着き、冷えたビールを一気に飲む、美味しい。

岩本芳蔵6-4

 岩本芳藏はこけし蒐集家の小野洸(たけし)氏に請われ父善吉のタコ坊主の復元を果たした。昭和31年の事である。父善吉が昭和9年に亡くなってからも20数年もの間封印していた善吉型の復元に至るには複雑な思いが去来したのではないかと想像する。

岩本芳蔵6-2

 タコ坊主は頭頂の黒い蛇の目の下部に緑色のロクロ線(両方とも褪色してボンヤリと見える)が1本引かれている。2本並んだ口絵の右側のように、初期の芳藏の善吉型は緑色のロクロ線の下方に中が赤く塗られた前髪が描かれ、蛇の目と前髪が離れていた。この描き方は昭和31年から32年ごろまで続き、それ以降の善吉型は、口絵の左側のこけしを見て分かるように黒い蛇の目と前髪がくっ付いている。

岩本芳蔵6-1

 今回、紹介する善吉型は胴底に昭和31年12月19日と記され、黒い蛇の目の下に引かれた緑色のロクロ線の下に前髪が描かれており初期の善吉型の特徴を有している。大きさは7寸3分で、全体的に褪色が進んでいるが、胴模様は赤と紫、緑の3色でロクロ線が引かれ、胸には桜の花が、裾には牡丹の花が描かれている。

岩本芳蔵6

 顔を良く見ると、何処となくタコ坊主の持つグロ味が薄く、優しく愛らしい仕上がりになっている。これは芳藏が持ち続けた父善吉との確執という殻を破る強い決意ではなく、今まで封印していたものを壊して行く後ろめたさに近い心の揺らぎを読み取ることができる。

こけしの話295

テーマ:趣味と日記 - ジャンル:趣味・実用

岩本芳蔵5 中ノ沢のこけし

岩本芳蔵5 中ノ沢のこけし

 今日は暑い中ウォーキングで汗を流した。道を歩いていると早いもので稲刈りが済んだ田圃があった。盆に里帰りした息子や娘に新米を持たせてやるために特に早く稲刈りをしたのかも知れない。

岩本芳蔵5-2

 ウォーキングの足を止め利根川と常陸利根川が合流する辺りの水田を眺めてみた。真直ぐな道の両側に黄金色の稲々が一面に続き、明日あたりから一斉に稲刈りが始まる。

岩本芳蔵5-1

 岩本芳蔵工人作のたこ坊主の大きさは5寸7分で、昨日のこけしと同じころの作で昭和40年前後と思われる。目はギョロリと大きくたこ坊主らしい顔をしている。保存状態が悪く、緑や紫の褪色が著く正面はほとんど残っていない。全体的に、もったりとした線で描かれ、作品自体が弱々しく物足りなさを感じている。

岩本芳蔵5

 芳蔵工人は中ノ沢の地に多くの弟子達を育てた功績は大きいと言える。それから半世紀の時が流れ、たこ坊主を作る工人は年々減り続け後継者もあまり育っていない。中ノ沢系の工人が少なくなり衰退して行く、この現状を想像していただろうか。


こけしの話219

テーマ:趣味と日記 - ジャンル:趣味・実用

«  | ホーム |  »

プロフィール

soudo

Author:soudo
FC2ブログへようこそ!

 

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

 

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

 

 

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

 

QR