2017-04

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橋本力蔵1 蔵王のこけし

橋本力蔵1 蔵王のこけし

 10月になり晴れる日が多くなった。我が家の猫もアルミサッシから差し込むお陽様の光を楽しむように昼寝をしている。庭に目をやると柚子の実がほんのりと黄色く色付き始めた。秋、季節を実感する。

橋本力蔵1-2

 今日、紹介するこけしは橋本力蔵で大きさは6寸4分、眼力の弱さから戦後の作と想像するが詳しい制作時期は不明である。蔵王高湯系のこけしの特徴である太い胴に赤い染料で4段の重ね菊が密度の濃い筆で描かれ、黒いオカッパの頭、湾曲した眉と目に紅い小さな口が如何にも蔵王高湯のこけしであり豪華で甘味な雰囲気を漂わせている。

橋本力蔵1-1

 この橋本力蔵は今年の夏にヤフオクで落札したこけしである。褪色はほとんどなく、重ね菊の花や葉が鮮やかに描かれていた。私は気付かずに入札してしまったが、送られてきたこけしを手に取ると胴の左側に虫食いの小さな穴が3つほど明いていた。今は見慣れたせいか余り気にならなくなったが少し悔しい気もしている。

橋本力蔵1

 橋本力蔵は明治36年に生まれ、斎藤源吉に弟子入りしたのは大正6年のことで15歳の時である。昭和8年まで緑屋の職人をしており、師源吉のこけしを忠実に継承した一人である。力蔵は源吉の木地を挽くこともあったが、本人のこけしはあまり多くは作らなかったようだ。昭和32年3月25日に53歳の若さで没している。

 私は深まりゆく秋の気配を感じながら豪華に菊の花を描いた蔵王高湯のこけしを何本か机の上に並べ眺めている。

 「(蔵王高湯系は)一番新しいこけしであるが、それにも関わらず、他の系統のこけしを圧倒するような豪華、絢爛、甘味なこけしを完成し得た……。後略」土橋慶三氏の著「こけしの旅」の中で蔵王高湯のこけしを形容した一節が思い浮かんだ。

 こけしの話303

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石沢角四郎1 釈迦堂のこけし

石沢角四郎1 釈迦堂のこけし

 桜の開花を知らせるニュースが流れているが、昨日、今日、外に出ると北風が吹き寒さ感じる。我が家の庭では卜伴(ボクハン)の花がサクラとバトンタッチをするかのように最後の花を咲かせていた。

石沢角四郎1-2

 まだ大沼希三名義のこけしを探している。今日は胴模様が面白かったので購入した石沢角四郎のこけしが出てきたので紹介する。5月頃から初夏にかけて咲くアヤメと秋の花の菊が一緒に描かれているチグハグな季節感、入手してからは褪色が進んでいる事と飾る時期を決めかねる絵柄から棚の奥に仕舞い込んだままになっていた。

石沢角四郎1-1

 大きさは8寸で昭和37年(68歳ごろ)の作である。あらためて眺めてみると顔の描彩は目鼻の線が細く優しい。二重瞼が大きく湾曲して戦後の角四郎の特徴が出ている。胴に描かれたアヤメと花弁を広げた2輪の菊、緑色のそれぞれの葉は色が褪めてはいるが全体的に古色を帯びた木地にしっとりと落ち着き馴染んでいる。

石沢角四郎1

 角四郎は明治27年5月20日に山形県釈迦堂の大工角二の二男として生まれた。明治39年4月、13歳の時に斎藤松治に弟子入りをし、明治41年に斎藤源吉が除隊して帰郷してからは主に源吉に指導を受けた。大正4年22歳の時に年季が明け、山形や米沢などで職人をした。大正7年に故郷の釈迦堂に戻り独立開業、木地玩具類は作らずに木管類を挽いていたが、昭和15年に深沢要氏の依頼を受けこけしを作り、蒐集家の間に知られるようになったという。戦後もこけしを作り続けていたが昭和44年に77歳で他界した。 
 
こけしの話282

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秋山慶一郎1 鶴岡のこけし

 秋山慶一郎1

 お正月の雰囲気に相応しいこけしを飾りたくて、いろいろと思案し並べて眺めていたが棚の奥にあった秋山慶一郎を取り出してみた。

秋山慶一郎1-1

 こけしの大きさは6寸で昭和37年3月1日と胴底に記されている。胴は細く中反りが大きい。鳴子系の型を基調とし
た胴模様の菊の花もあっさり描かれている。慶一郎のこけし本来の魅力である重量感には欠けるが、この晩年の作は新春の静かな夜に合いそうな気がする。

秋山慶一郎1

 秋山慶一郎は明治23年に鳴子に生まれた。明治39年に兄の忠から木地を習い上の山や蔵王高湯など各地を転々とし昭和6年に鶴岡の地に落ち着いた。昭和39年に75歳で亡くなっている。
 慶一郎のこけしは二人の息子に引き継がれたが、長男清一は早い時期に木地の世界を離れ、二男一雄も平成3年に50代の若さで他界し鶴岡のこけしは途絶えている。


こけしの話158

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木村吉太郎1 上ノ山のこけし

木村吉太郎1 上ノ山のこけし
 
 木村吉太郎は明治29年10月7日に上ノ山の茅葺職人の家に生まれた。明治45年、17歳の時に荒井金七の弟子となり木地挽きを学び、大正7年、23歳で独立して開業した。以後は継続的に木地を挽きこけしを作り続けていたが、昭和41年に脳溢血で倒れ、47年に77歳で亡くなった。

木村吉太郎1

 今回の木村吉太郎のこけしは5寸2分で昭和17年ごろの作と聞いて購入した。頭部には蛇の目が描かれていないので戦前の条件満たしているが、胴の作りを見ると撫で肩になっているので戦後の早い時期の作と見るのが妥当であろう。

 胴は裾の方に下がるにつれ少しづつ広がっている。黒く古色がついているが、牡丹の花の赤は鮮やかに残っているが緑は褪色して微かに痕跡を留めている。目は大きく湾曲し鼻は長めの丸鼻を描いていて、晩年の震えるような描き方とは異なり力強い筆使で若さを感ずる。

木村吉太郎1-1

  
こけしの話113

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阿部常吉1 兄弟こけし

阿部常吉1 兄弟こけし

 今回は昭和52年作、阿部常吉の5寸のこけし2本である。前の所有者から2本一緒に譲り受けたのでいつも離さずに並べて飾っている。幼い兄弟のようなこけしだ。

 私が最初に常吉さんの大き目でボリューム感溢れるこけしに出会ったのは、那須湯本温泉の坂道の途中にある諸国民芸「みちのく」というお土産屋さんだ。

阿部常吉1-1

 その当時は、いわきの湯本駅前のお土産屋さんにも良くこけしを買いに行ったが、那須湯本の「みちのく」も、日帰りで何度か通った事がある。朝5時頃に出れば、「みちのく」でこけしを観て、近くの温泉に浸かっても夕方には家に帰る事が出来た。

 「みちのく」本店に行くには「東野交通バス」のターミナル前の駐車場に車を止め、車で上ってきた方向へ坂道を下りる。江戸時代の古い建物を移築し重厚で歴史を感じる店構えだ。中に入ると全国の郷土玩具や古伊万里などを中心にした骨董品、地下には益子焼等の陶器類、質の高い土産物が並んでいる。私は何時間観ていても飽きることはない。少し疲れるとコーヒーか甘酒を注文し谷沿いに張り出した窓際のテーブルに座る。耳を澄ますと、新緑の木々を揺らす風の音や深い谷底を流れる川の音が聞こえて来る。

阿部常吉
 
 阿部常吉は明治37年12月24日生まれで、大正7年頃から父常松について木地を修業sた。ユニークな木地玩具もなども作っていた。

こけしの話26

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