2017-08

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桜井コウ2 凛々しき

桜井コウ2 凛々しき

 登山口の広河原から北岳の山頂まで標準のコースタイムは6時間ぐらいだと思うが、私は8時間ぐらいかかった。休憩と水分補給を繰り返しながら標高差1700mを一歩一歩登った。標高が高くなり森林限界を超えるあたりから冷たい風が吹いてきたが、直射日光を浴びた身体に汗が流れ筋肉が張り出した。

桜井コウ2-2

 山旅の疲れはだいぶ取れたが、太腿や脹脛に筋肉痛が残っており、昨日、今日と外出は控え家でゴロゴロとした。今日はこけしの入った段ボール箱を整理したりして、長い間しまい込んでいたこけしを出しては眺め、乾拭きをして過ごした。

桜井コウ2-1

 今日、紹介する桜井コウさんのこけしもその中の一つで、何時から家に来たものなのか記録が残っていない。箱から取り出して包み紙を解いてみると、髷を結い凛々しい顔のこけしが現れ、しばし眺めてしまった。大きさは6寸で胴底に昭和40年と記されている。夫万之丞さんの木地にコウさんが描いたものであろう。

桜井コウ2

 桜井コウさんは明治30年2月8日に山形市小姓町に開業していた理髪業の家に長女として生を受けた。大正2年に近所の木地屋に鳴子から働きに来ていた大沼万之丞を婿に迎え入れている。コウは1人娘であったので万之丞を床屋の跡継ぎにと考えたが、万之丞は理髪業が合わず、1人で鳴子へ戻ってしまった。その後を追い、コウさんは生まれた娘を連れて鳴子へ移り、夫とともに仙台や米沢などを渡り歩いた。大正10年ごろに鳴子に戻り定住している。

 コウさんがこけしに興味を持ち万之丞の木地に描き始めたのは山形時代からであり大正9年~10年ごろとされている。昭和5年には大沼岩蔵から本格的に指導を受け描くようになった。戦後も万之丞の木地に描彩を続け、夫の死後は、長男昭二やさくらいの職人の木地にも描いていた。昭和53年4月10日に没している。行年82歳である。

 桜井コウさんなくして桜井万之丞、桜井昭二、実もないと言われるほど、桜井家にとっては貴重な存在であったと語り継がれている。

こけしの話343
 
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荒川洋一95 芳蔵型 一重牡丹

荒川洋一95 芳蔵型 一重牡丹

 今日、8月11日は「山の日」である。私は一足早く(8月9日から10日)南アルプスの北岳に登ってきた。昨年も同時期に北岳に挑戦し、頂上を目前にして引き返し悔しい思いをしたので、今回3,193mの頂に立つことができ本当に良かったと思っている。

荒川洋一95-3

 台風5号が去った後で快晴になることを期待をして出かけたが、頂上付近は流れ湧くような雲に拒まれ360度のパノラマは望めなかった。それでも、短い夏に一斉に咲く様々な高山植物を見ることができ、短い時間ではあるが雲海に浮かぶ朝焼けの富士との対面を果たし、ライチョウの親子の砂浴びに遭遇するなど、未知との出会を楽しむことができた。

荒川洋一95-4

 今日、紹介するこけしは荒川洋一さんの芳蔵型で大きさは7寸3分である。制作時期は平成13年2月ごろと思われ、保存状態が悪く少し褪色が進み顔にはシミが出ており惜しい気がする。形態は直胴に丸い頭は差し込みになっている。胴の上と下側に赤と紫の染料でロクロ線が引かれ、胴の中心よりやや下に鮮やかな色の牡丹が一輪描かれている。顔は眉が太く上瞼と下瞼が外側に膨れた紡錘型の目に薄いピンクの隈が塗られ、小さめの獅子鼻と口の形が品良く引き締まって見える。

荒川洋一95-1

 荒川さんの年譜によると昭和35年に会津若松の神山木工所で木地挽きを習得し、温泉や観光地の土産用に木地を挽いていた。その後、伝統こけしの道を志し、中ノ沢の岩本芳蔵の弟子になったのは昭和45年のことである。善吉型のタコ坊主を作る許しを得るまでの2年間は芳蔵型のこけし作りに専念していたという。

荒川洋一95

 以前、荒川さん工房にお邪魔した時、私が手にした芳蔵型のこけしを見て、その当時のことを振り返り懐かしそうに話して下さったことを思い出す。

こけしの話342

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今 晃21 デフォルメされた幸兵衛型

今 晃21 幸兵衛型

 台風の影響で蒸し暑く、はっきりしない天気が続いている。7月下旬から昨日まで使わずに済んでいたエアコンを再び使い始めている。

今晃21-2

 先日、筑波山に登りアサギマダラに出会った話を紹介したが、筑波山登山の本当の目的は、6月に登った時にはまだ蕾だったイワタバコの花を見たいと思ったからである。イワタバコは女体山直下に垂直に立っている岩にしがみ付くようにして薄紫色の優しい花をつけていた。

今晃21-1

 今日のこけしは今晃さんの幸兵衛型で、制作時期は平成元年4月ごろである。造り付で太めの木地に、胴模様は上と下、そして胸のあたりにロクロ線が引かれており、その内側に牡丹の花が一輪描かれている。牡丹の花は肩の力を抜いたようなフワッとした筆使いで観るものを和ませてくれる。

今晃21

 この幸兵衛型は髷を結いふっくらとした顔にキリリとやや力強い線で目鼻が描かれているが、今まで津軽系の工人が作ってきた幸兵衛型ではなく、デフォルメされた雰囲気が魅力的であり、私好みの今さんらしい幸兵衛型になっている。

こけしの話341

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小関幸雄4 竹井のこけしの素朴さ

小関幸雄4 竹井のこけしの素朴さ

 ここ一週間、暑さが遠ざかり過ごしやすい。昨日、この涼しさに後押しされ筑波山に登った。筑波山は百名山とは言っても標高が1000mに満たない山であり、登り始めて直ぐに汗が滲んできた。頂上付近は曇り空で遠くの景色を見渡すことができなかったが、涼しい風に吹かれ、ほっと一息つくことができた。

小関幸雄4-2

 今回は平野部では見ることが出来ない旅をする蝶アサギマダラを見つけることができた。ヒヨドリソウの花の周りを舞、ご馳走の花の蜜を吸っていた。この蝶も秋になれば暖かい南の島に向かって旅立つ日が来るのだろうかと思いながら眺めていた。(以前、テレビで2000キロも旅するアサギマダラの特集を観たことあり興味があった。)

小関幸雄4-1

 昨日に続き今回も小関幸雄工人のこけしを紹介する。大きさは8寸1分で昭和40年ごろの作である。木地の形態は直胴で頭は平たく、さし込みになっており、顔は口と鼻が小さく、目は一重で黒目が大きく描かれている。

小関幸雄4

 昭和49年から始まった森亮介氏の第4次たつみ時代に小関幸雄の名前が出ている。私が竹井のこけし小関幸雄の「福太郎型や栄五郎型」を最初に手にしたのは昭和52年ごろで、亮介氏の指導のもと、師福太郎の雰囲気が色濃く出ていた。 昨日、今日と小関幸雄の「たつみ時代」以前のこけしを観てきたが、私はその中により多く竹井のこけしの素朴な魅力を感じることができる。

こけしの話340

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小関幸雄3 竹井の鄙びたこけし

小関幸雄3 竹井の鄙びたこけし

 今年は7月に入り、雨は少なく予想以上に早く暑い夏が始まった。心身ともに暑さに対し順化できずに、物憂く気力が萎えて行く日々が続いた。

小関幸雄3-2

 先日、やっと気を取り直して、日光の男体山(標高2486m)の頂に立った。中禅寺湖畔の二荒山神社から標高差1200mを黙々と登り、雲の合間から青く澄んだ中禅寺湖や戦場ヶ原を眺め、足元に咲く小さな夏の花々(口絵=ゴゼンタチバナ)に出会った。豊かな自然に触れ普段のリズムを取り戻すことが出来た。

小関幸雄3-1

 今日、紹介するこけしは小関幸雄工人の作品で昭和30年前後の作と思われ、大きさは8寸である。胴は括れ、頭はさし込みになっている。顔は細い筆使いで、小さな口に小さな鼻、少し垂れ気味に描かれ目が弱々しく、それが素朴で鄙びているように映り魅力になっている。

小関幸雄3

 小関幸雄は、大正12年から3年間、冬の農閑期に弥治郎の新山福太郎のもとで木地の手ほどきを受け、昭和14年から山形県米沢市竹井の地にロクロを据え木地を挽き始めた。

こけしの話339

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